播磨灘物語

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

中才という名の天才

ダウンタウンの松本が黒田官兵衛のファンらしく何度か番組で取り上げている。
ラジオの松本人志の放送室のログを読んだのだが、笑ってしまうのが松本が官兵衛はすごいすごい言うのだが、話し相手にはまったく何がすごいのか伝わってないことである。

高須:黒田官兵衛の何がすごいか、まだ全然出てきてへん。

ログ全編
http://fmhososhitsu.blog25.fc2.com/blog-entry-591.html

でもこれが黒田官兵衛だと思ったわけです。

信長の桶狭間の戦いとか秀吉の墨股一夜城や中国大返しとか半兵衛の稲葉山城盗りみたいな超人的な活躍エピソードが官兵衛には無いんですよねえ。

よく言われるのは本能寺の変直後に「天下取りのチャンスでっせ」と秀吉に進言して逆に遠ざけられる結果になった話とか、豊臣時代に秀吉が自分の代わりに天下を取るやつとして官兵衛の名を挙げたとか、晩年関ヶ原で天下取りの野望を実行に移したが息子の長政の思わぬ活躍で失敗に終わった話とか。
いわば立身出世を遂げた後のエピソードばっかりです。

さて、これはそんな官兵衛の前半生をつづったものがたり。
播磨での立身出世に焦点をあてています。
策や外交・諜略を一つ一つ進めていく姿を読むことができます。

そこで描かれるのは智者官兵衛の人となり。
涼やかなる人物。栄達欲とは無縁で画家がキャンパスに描くように天下に策をめぐらすこと自体を楽しむ人物です。

播磨灘物語は本編だけでなく巻末の谷沢栄一氏の解説も秀逸だと思うのですが、官兵衛の人となりについてこう書かれています。

参加するが没入せず、獲物は見えていても掴み取りせぬ一種の奇人風

これらはまた司馬遼太郎が考える「智者」というものの像でもあるようです。

智者を3点で表わすと、表現欲、無私、物事の見通しになるでしょうか。
以下は本編の引用です。

物事を為すことを好む

かれはただ自分の中でうずまいている才能をもてあましているだけであった。その才能をなんとかこの世で表現してみたいだけが欲望と言えば欲望であり、そのいわば表現欲が、奇妙なことに自己の利を拡大してみようという我欲とは無縁のままで存在しているのである。そういう意味からいえば、かれは一種の奇人であった。

官兵衛は、ひとの情の機微の中に生きている。ひとの情の機微の中に生きるためには自分を殺さねばならない。(私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ)

滑稽なほど私情がない。かれはつねにそうだった。かれは栄達欲よりも構想をたてることをよろこび、その構想を実現させることでかれの欲望のすべてが充足してしまう。かれにも本来の私欲があるにせよ、かれが構想をたてるときは常にそれは抑制されている、というよりも、計算外におかれていた。
このことはかれの無意識によるものではなく、
(智者とは、そういうものだ)
とみずから言い聞かせていたし、自己の欲望や利益や事情に囚われては物が見えなくなるか、物の像がゆがんで見え、そこから引き出される判断は使い道のないものだということを知っているのである。


しかし、智恵誇りしてしがちな点は、他者から疎まれる素にもなります。
もう一つこの物語でテーマとなるのは”嫉妬”という感情です。

秀吉から、小寺藤兵衛から、同僚から疎まれ、苦境に陥ります。

最大の苦難が片足が機能しなくなるきっかけになった荒木村重に囚われた1年間の牢屋生活。

ここで智恵誇りのむさしさといのちの尊さ、そして人は人間関係があってはじめて存在するのだということを悟ります。

以降の官兵衛はこのような考え方をもつようになります。

ちかごろの官兵衛が思うのに、人間の智恵などは知れたものだということだった。人のよろこびや悲しみを素直に感じとれる感受性で物事を考えればほぼあやまちがない、と思っている。

この感受性でものごとを考える達人として、秀吉と小早川隆景がピックアップされます。

ものを考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。
「それではあの男が可哀想だ」と、秀吉はよく言う。

隆景は地元貴族の子に生まれたにしては珍しく人へのいたわり心があり、彼の思考はかれのすぐれた智恵から出ているというよりも、その人柄から出てその聡明さで濾過されたといった感じの場合が多かった。

官兵衛は44歳という若さで隠居します。

官兵衛が若年のころから天下に志をもっていたということと矛盾する。しかしその志などは多分に浪漫的なことで、野心家であるにはかれは天性欲望の強さを欠いていたということなのであろう。

晩年、官兵衛は初めてと言っていいほど己の野心を実現するために動きます。
しかしそれはやはり画家がキャンパスに絵をえがくがごとくであり、機を失ったとあればあっさりと引きさがります。

如水自身の自己分析では、「臣ハソレ中才ノミ」

実に言いえて妙です。
おそらく官兵衛は参謀、謀臣と言われる類にとどまらず信長、秀吉らと同格の大名に足る人物ででした。というのも、個々の戦術や施策を考案するのみならず、家をどうするか世をどうするかという戦略=Whatを考えられる人物だったからです。ここが典型的な官吏であった石田光成との違いでしょう。
しかしなりきれなかった。
それは生来の芸術家肌ともいうべき策のための策士だったからゆえであろうか。利欲が欠けていたということもあるし、人を押しのけてまで我をつらぬくヴァイタリティに欠けていたということでもありましょう。
「たしかに官兵衛は、機会主義者である面が、すこしあった。何事か、自分の好みに適う野望を目標として日常営々とそれへの条件を作ってゆく男ではなかった。」とは逆説的に信長や秀吉のように天下にのし上がるための必要条件のようです。
こうした点から官兵衛は、秀吉という”他人の画布を借りて”策を描くことに納まったのであるが、それを「中才」と表現するのは実に正確な認識だなと思う次第です。

司馬遼太郎はこう解説しています。

かれは年少のころから物事の姿や本質を認識することが好きであった。さらにはその物事の原因するところと、将来どうなるかを探究したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水がうまれつきそれに乏しかったことでかれは右の能力においてときに秀吉をあきれさせるほどの明敏さを発揮したが、同時に我執が乏しいために自分をせりあげることを怠った。中才である。

智者はボスではなくNo2、参謀ということならまさにというところです。
では何にもっとも長けているかというと予言者でしょうか。

如水は物事の予見が好きであった。無欲であれば誰でも予見はできる、とつねづね言っていたが、このおかしなほど私心の薄かった男は、ついに自分の生涯の最期まで予見してしまい、事実、その日時に、溶けるようにして死んだ。


物語は「友人にもつなら、こういう男をもちたい」と結ばれています。