覇王の家
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2002/04/30
- メディア: 文庫
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徳川家康の物語である。
ただし、司馬遼太郎の他の小説を埋めるような内容で、他の小説で描かれ済みの信長との同盟時代や関ヶ原や大阪の陣などはほとんど出てこない。
江戸時代の源流となった三河武士の風土や文化に焦点を当てている。
隣国の尾張が商業が栄え投機的な風潮があり己誇りをよしとする、いかにも乱世戦国時代の世相を反映してたのとは対照的に、
独創をおそれ、土臭く困苦に耐え、利害よりも情義を重んずるという農業社会を色濃く残した土地となる。
その利点は乱世のなかではめずらしいほどに強固な主従関係をつくりあげた一方、集団の考え方からはずれた異端児を徹底的に排除するムラ社会ともなる。
尾張が個人主義の欧米的と言うなら、三河は集団主義の日本である。が、そもそも近代日本の工業化に適合したものづくりの巧みさ=工場生産の巧みさが、これを読んでいると三河武士が源流だと考えてしまう。
それくらい三河武士の共同体主義はトヨタに代表される工場の小集団活動などを想起させる。
そのボスたる家康であるが、これまた見事に日本のボスと言う感である。
はっきり言わない、物事には常に慎重で入念に準備する、独創よりも模倣、総意を大事にする。
家康は戦であれ外交であれ、大ざっぱな命令を与えるだけで、あとは当人の推量やら独断やらにまかせるのが常であった。
古来、家康ほど言葉のすくなかった政治家もめずらしく、家康ほど以心伝心ふうのやり方でおこなった男もすくない。
進んで難局の打開に立ち向かうよりは、いずれ、物事が煮えてからというところが基本にあった。
忠次は家康の内意はきいているのだが、それをこのようにしてかくし、総意に遵う、という態度に出るのが、家康の若いころから晩年までの常套の手であり
総意でなければならなかった。家康にこの冒険への航海をすすめたのは家康の家来の諸将であり、諸将からすれば家康に冒険させる以上、一致団結して五カ国の境をまもり、もし秀吉軍が攻めくる場合は、死を賭して防ぎ戦うという気分ができあがった。家康の意図はそこにあった。
そして経営者家康の真骨頂が以下である。
かれは自分という存在を若いころから抽象化し、自然人というよりも法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで下界を見、判断し、働いてきたし、自分の健康についてもまるでそれが客観物であるかのように管理し、あたえるべき指示をかれ自身がかれの体に冷静に与えてきた。
多分に保守的だが、集団エネルギーを生み出すにはこのような面が必要なのかなと思った。
しかしこれらはNo1が別にいるときこそ有効な手立てであることは、江戸時代の終焉や現在の日本の状況から思わざるをえない。
模倣対象がいる時こそ成り立つ手立てだからだ。