空海の風景

空海の風景〈上巻〉

空海の風景〈上巻〉

異才への入り口

率直に言うと買う前のわくわく感に対して、読後の感想としてはがっかりした。
期待していたところが、空海の思想や異才ぶりの正体といったところだったが、本書はあらすじ的な内容だったからだ。
でも、改めて考えると司馬さんの記法としては王道だよなとも思う。他書でも、基本は史実は淡々と追いながら時折人間模様のドラマを挿入するといったスタイルだからだ。
amazonレビューを見ていると、しばらく時をおいて再読するとまた感想も変わるのかなと。(2回目でようやくわかったというレビューがあったので)

さて、そんななか本書で着目したのは最澄との確執である。
空海最澄に対してなぜにけんもほろろに接したのか。

お互いの資質を抜粋する。

空海の場合、かれが志向したのは、唯一の原理の上に精密な論理世界をつくりあげることであり、この作業はきわめて空海の資質に適していた

最澄天台宗のほかにそれと一原理をなすとは決して言いがたい既成の諸要素を併立させ、あるいは総合させることによって一大壮観をつくろうと志していたが、あくまでも志であり、ともかくも総合への作業をせねばならぬと思っていた。

こうやって抜粋すると、空海は一つの領域を定め徹底していたのに対して、最澄はカメレオン的というかよくもわるくも中途半端な浮気性ものに思える。

ただ、二人とも(つまり空海も)先人の成果を体系化してるだけの作業者とも言えるんだよな・・・。

より本質的には、空海が人生かけてるものに対して、最澄はたくさんある中の一つとしか考えていないことへの憤慨なんだろうなあ。

ものごとに対する姿勢も、対象を変えれば、二人の特徴は入れ替わる。
書においては、空海がいろいろな技法を相手により内容により使い分け、最澄は徹頭徹尾一つのスタイルを貫いている。

けっきょくのところ二人は似たような特質と同じくらいの才能をもっており、お互いが構想者のなか、どちらが上に立つかの主導権争いの上に決裂という結末を迎えたのだと考える。

両雄並び立たず

天才というのはエゴの強さと比例すると考えているのでそういうものだろうなという感想です。

覇王の家

覇王の家(上) (新潮文庫)

覇王の家(上) (新潮文庫)

ムラ社会日本を形づくる源

徳川家康の物語である。
ただし、司馬遼太郎の他の小説を埋めるような内容で、他の小説で描かれ済みの信長との同盟時代や関ヶ原や大阪の陣などはほとんど出てこない。
江戸時代の源流となった三河武士の風土や文化に焦点を当てている。

隣国の尾張が商業が栄え投機的な風潮があり己誇りをよしとする、いかにも乱世戦国時代の世相を反映してたのとは対照的に、
独創をおそれ、土臭く困苦に耐え、利害よりも情義を重んずるという農業社会を色濃く残した土地となる。
その利点は乱世のなかではめずらしいほどに強固な主従関係をつくりあげた一方、集団の考え方からはずれた異端児を徹底的に排除するムラ社会ともなる。

尾張個人主義の欧米的と言うなら、三河集団主義の日本である。が、そもそも近代日本の工業化に適合したものづくりの巧みさ=工場生産の巧みさが、これを読んでいると三河武士が源流だと考えてしまう。

それくらい三河武士の共同体主義トヨタに代表される工場の小集団活動などを想起させる。

そのボスたる家康であるが、これまた見事に日本のボスと言う感である。

はっきり言わない、物事には常に慎重で入念に準備する、独創よりも模倣、総意を大事にする。

家康は戦であれ外交であれ、大ざっぱな命令を与えるだけで、あとは当人の推量やら独断やらにまかせるのが常であった。

古来、家康ほど言葉のすくなかった政治家もめずらしく、家康ほど以心伝心ふうのやり方でおこなった男もすくない。

進んで難局の打開に立ち向かうよりは、いずれ、物事が煮えてからというところが基本にあった。

忠次は家康の内意はきいているのだが、それをこのようにしてかくし、総意に遵う、という態度に出るのが、家康の若いころから晩年までの常套の手であり

総意でなければならなかった。家康にこの冒険への航海をすすめたのは家康の家来の諸将であり、諸将からすれば家康に冒険させる以上、一致団結して五カ国の境をまもり、もし秀吉軍が攻めくる場合は、死を賭して防ぎ戦うという気分ができあがった。家康の意図はそこにあった。

そして経営者家康の真骨頂が以下である。

かれは自分という存在を若いころから抽象化し、自然人というよりも法人であるかのように規定し、いかなる場合でも自己を一種放下したかたちで下界を見、判断し、働いてきたし、自分の健康についてもまるでそれが客観物であるかのように管理し、あたえるべき指示をかれ自身がかれの体に冷静に与えてきた。

多分に保守的だが、集団エネルギーを生み出すにはこのような面が必要なのかなと思った。
しかしこれらはNo1が別にいるときこそ有効な手立てであることは、江戸時代の終焉や現在の日本の状況から思わざるをえない。
模倣対象がいる時こそ成り立つ手立てだからだ。

二流の人

帯に短しタスキに長し

司馬遼太郎では清廉で不遇のヒーローとして描かれていたけど、こちらの如水はしょせん他人(秀吉、家康)のふんどしで相撲を取るだけの二流の武将として描かれています。

卓見と策はもちつつも自分が大将としてのし上がろうとする度胸も行政・統治構想もなく社長になれず。
かといって野心と我執が強すぎて忠実な秘書官としてもなれず。

秀吉は信長の忠実な部下であり、三成は秀吉の忠実な部下でありました。

彼らとの違いをこう評されています。

中国征伐の時、秀吉と如水の一存で浮田と和平停戦した。之が信長の気に入らぬ。信長は浮田を亡して、領地を部将に与へるつもりでゐたのである。二人は危く首の飛ぶところであつたが、猿面冠者《さるめんかじゃ》は悪びれぬ。シャア/\と再三やらかして平気なものだ。それだけ信長を頼りもし信じてもゐたのであるが如水は後悔警戒した。傾倒の度も不足であるが、自恃《じじ》の念も弱いのだ。

主君への絶大な信頼感が欠けている。
かといって、天下を取ろうとまではいかずに秀吉の下で律儀に献策に努めている。
そしてその策は見事な智恵を顕す。

こういうのは上司側としては不気味なんだろうなと、以下の秀吉のセリフが示しています。

俺の戦功はビッコの智略によるところが随分とあつて、俺が寝もやらず思案にくれて編みだした戦略をビッコの奴にそれとなく問ひかけてみると、言下にピタリと同じことを答へをる。分別の良いこと話の外だ。狡智無類、行動は天下一品速力的で、心の許されぬ曲者だ、と言つた。

そして次第に重用されなくなっていきます。
しかしプライドの高さは自分の立場を気づかせない。
もはや憐れですらあります。

如水はことさらに隠居したが、なほ満々たる色気は隠すべくもなく、三成づれに何ができるか、事務上の小才があつて多少儕輩《せいはい》にぬきんでゝゐるといふだけのこと。最後は俺の智恵をかりにくるばかりさ、と納まつてゐたが、世の中はさういふものではない。昨日までの青二才が穴を填《う》め立派にやつて行くものだ。さうして、昨日の老練家は今日の日は門外漢となり、昨日の青二才が今日の老練家に変つてゐるのに気がつかない。

帯に短しタスキに長し。
力量はありながら秀吉と家康の両大御所から軽蔑されてしまう如水・・・。
参謀タイプと言われる人の陥りがちな境遇で、如水象としてはリアルなものを感じました。

播磨灘物語

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

新装版 播磨灘物語(1) (講談社文庫)

中才という名の天才

ダウンタウンの松本が黒田官兵衛のファンらしく何度か番組で取り上げている。
ラジオの松本人志の放送室のログを読んだのだが、笑ってしまうのが松本が官兵衛はすごいすごい言うのだが、話し相手にはまったく何がすごいのか伝わってないことである。

高須:黒田官兵衛の何がすごいか、まだ全然出てきてへん。

ログ全編
http://fmhososhitsu.blog25.fc2.com/blog-entry-591.html

でもこれが黒田官兵衛だと思ったわけです。

信長の桶狭間の戦いとか秀吉の墨股一夜城や中国大返しとか半兵衛の稲葉山城盗りみたいな超人的な活躍エピソードが官兵衛には無いんですよねえ。

よく言われるのは本能寺の変直後に「天下取りのチャンスでっせ」と秀吉に進言して逆に遠ざけられる結果になった話とか、豊臣時代に秀吉が自分の代わりに天下を取るやつとして官兵衛の名を挙げたとか、晩年関ヶ原で天下取りの野望を実行に移したが息子の長政の思わぬ活躍で失敗に終わった話とか。
いわば立身出世を遂げた後のエピソードばっかりです。

さて、これはそんな官兵衛の前半生をつづったものがたり。
播磨での立身出世に焦点をあてています。
策や外交・諜略を一つ一つ進めていく姿を読むことができます。

そこで描かれるのは智者官兵衛の人となり。
涼やかなる人物。栄達欲とは無縁で画家がキャンパスに描くように天下に策をめぐらすこと自体を楽しむ人物です。

播磨灘物語は本編だけでなく巻末の谷沢栄一氏の解説も秀逸だと思うのですが、官兵衛の人となりについてこう書かれています。

参加するが没入せず、獲物は見えていても掴み取りせぬ一種の奇人風

これらはまた司馬遼太郎が考える「智者」というものの像でもあるようです。

智者を3点で表わすと、表現欲、無私、物事の見通しになるでしょうか。
以下は本編の引用です。

物事を為すことを好む

かれはただ自分の中でうずまいている才能をもてあましているだけであった。その才能をなんとかこの世で表現してみたいだけが欲望と言えば欲望であり、そのいわば表現欲が、奇妙なことに自己の利を拡大してみようという我欲とは無縁のままで存在しているのである。そういう意味からいえば、かれは一種の奇人であった。

官兵衛は、ひとの情の機微の中に生きている。ひとの情の機微の中に生きるためには自分を殺さねばならない。(私情を殺せば、たいていの人の心や物事はよく見えてくるものだ)

滑稽なほど私情がない。かれはつねにそうだった。かれは栄達欲よりも構想をたてることをよろこび、その構想を実現させることでかれの欲望のすべてが充足してしまう。かれにも本来の私欲があるにせよ、かれが構想をたてるときは常にそれは抑制されている、というよりも、計算外におかれていた。
このことはかれの無意識によるものではなく、
(智者とは、そういうものだ)
とみずから言い聞かせていたし、自己の欲望や利益や事情に囚われては物が見えなくなるか、物の像がゆがんで見え、そこから引き出される判断は使い道のないものだということを知っているのである。


しかし、智恵誇りしてしがちな点は、他者から疎まれる素にもなります。
もう一つこの物語でテーマとなるのは”嫉妬”という感情です。

秀吉から、小寺藤兵衛から、同僚から疎まれ、苦境に陥ります。

最大の苦難が片足が機能しなくなるきっかけになった荒木村重に囚われた1年間の牢屋生活。

ここで智恵誇りのむさしさといのちの尊さ、そして人は人間関係があってはじめて存在するのだということを悟ります。

以降の官兵衛はこのような考え方をもつようになります。

ちかごろの官兵衛が思うのに、人間の智恵などは知れたものだということだった。人のよろこびや悲しみを素直に感じとれる感受性で物事を考えればほぼあやまちがない、と思っている。

この感受性でものごとを考える達人として、秀吉と小早川隆景がピックアップされます。

ものを考えるのはすべて頭脳であるとされるのは極端な迷信かもしれない。むしろ人間の感受性であることのほうが割合としては大きいであろう。人によっては、感受性が日常知能の代用をし、そのほうが、頭脳で物事をとらえるより誤りがすくないということがありうる。
「それではあの男が可哀想だ」と、秀吉はよく言う。

隆景は地元貴族の子に生まれたにしては珍しく人へのいたわり心があり、彼の思考はかれのすぐれた智恵から出ているというよりも、その人柄から出てその聡明さで濾過されたといった感じの場合が多かった。

官兵衛は44歳という若さで隠居します。

官兵衛が若年のころから天下に志をもっていたということと矛盾する。しかしその志などは多分に浪漫的なことで、野心家であるにはかれは天性欲望の強さを欠いていたということなのであろう。

晩年、官兵衛は初めてと言っていいほど己の野心を実現するために動きます。
しかしそれはやはり画家がキャンパスに絵をえがくがごとくであり、機を失ったとあればあっさりと引きさがります。

如水自身の自己分析では、「臣ハソレ中才ノミ」

実に言いえて妙です。
おそらく官兵衛は参謀、謀臣と言われる類にとどまらず信長、秀吉らと同格の大名に足る人物ででした。というのも、個々の戦術や施策を考案するのみならず、家をどうするか世をどうするかという戦略=Whatを考えられる人物だったからです。ここが典型的な官吏であった石田光成との違いでしょう。
しかしなりきれなかった。
それは生来の芸術家肌ともいうべき策のための策士だったからゆえであろうか。利欲が欠けていたということもあるし、人を押しのけてまで我をつらぬくヴァイタリティに欠けていたということでもありましょう。
「たしかに官兵衛は、機会主義者である面が、すこしあった。何事か、自分の好みに適う野望を目標として日常営々とそれへの条件を作ってゆく男ではなかった。」とは逆説的に信長や秀吉のように天下にのし上がるための必要条件のようです。
こうした点から官兵衛は、秀吉という”他人の画布を借りて”策を描くことに納まったのであるが、それを「中才」と表現するのは実に正確な認識だなと思う次第です。

司馬遼太郎はこう解説しています。

かれは年少のころから物事の姿や本質を認識することが好きであった。さらにはその物事の原因するところと、将来どうなるかを探究したり予想したりすることに無上のよろこびをもっていた。認識と探求と予想の敵は、我執である。如水がうまれつきそれに乏しかったことでかれは右の能力においてときに秀吉をあきれさせるほどの明敏さを発揮したが、同時に我執が乏しいために自分をせりあげることを怠った。中才である。

智者はボスではなくNo2、参謀ということならまさにというところです。
では何にもっとも長けているかというと予言者でしょうか。

如水は物事の予見が好きであった。無欲であれば誰でも予見はできる、とつねづね言っていたが、このおかしなほど私心の薄かった男は、ついに自分の生涯の最期まで予見してしまい、事実、その日時に、溶けるようにして死んだ。


物語は「友人にもつなら、こういう男をもちたい」と結ばれています。

雨おんな

司馬遼太郎全集 (8) 尻啖え孫市 他九篇

司馬遼太郎全集 (8) 尻啖え孫市 他九篇

試合に負けて勝負に勝った男

関ヶ原の戦い時に、道中の農家に泊まっていた巫女(=おなん)と交わった東軍・西軍に属する二人の侍を描く。

東軍の侍は西軍の侍の武功を横取りして戦後そつなく出世しておなんも側におくが、保身にきゅうきゅうとした生活を送る。
一方、西軍の侍は牢人するが手柄に執着せず悠々と暮らす。

一見出世も女も手に入れられず憐れみさえ誘うような西軍の侍の状況であるが最後にこのように描写される。

「追うな。おなん、おれには武運がなかったぞ」
肩をそびやかして歩き始めた。その後ろ姿にはどことなく、貧乏神のような滑稽な威厳があって、おなんに声をかけさせることも憚られた。

物欲的なものは何一つ手に入れられなかったが尊厳を失わずさっぱりとした印象を持たせる。

新史太閤記

新史 太閤記

新史 太閤記

とことん明るく欲ぶかい黄金男

司馬遼太郎が描く豊臣秀吉である。
徹底的に明るくエネルギッシュでかつ策謀に富んだ男が登場する。

半兵衛の猿評である。

人懐っこさと信義のあつさは、猿の香気であり、もっとも重要な特徴であるように、半兵衛には思えた。(中略)そのくせ猿は諜略の名人というべき才器の持ち主なのである。もし猿に人懐っこさと信義のあつさがなかったなら、おそるべき詐略、詐欺、陰謀の悪漢になったであろう。

信長への忠誠は上司・部下の関係のお手本のようである。

理解されて酷使されるところに士のよろこびがあるように思われる。

好色ぶりもさんざん描かれる。

もっとも感銘をうけたのは、たくさんの人から妬みや嫌悪をいだかれるがすべてを明るく笑いを交えて乗り切るところである。
人たらしとの所以だがお見事と痛快であった。
関ヶ原の石田光成と180度違うところだ。

金はきらびやかであり、そのまわりには欲がうずまく。
まさにその二面性が秀吉にぴったりくる。