関ヶ原

関ケ原(上) (新潮文庫)

関ケ原(上) (新潮文庫)

自己顕示に溺れた優等生

石田光成とはどのような人物だったのだろうか。

この本を読むまで中学高校の日本史程度の知識しかなかったため、せいぜい徳川家康の天下取りに対しての噛ませ犬程度の認識でした。
大軍を動員したものの将の心をつかめず大敗した敗軍の将です。小早川秀秋の裏切りが代表的ですね。

なるほどたしかに人の心に疎く、ささいなことで不興をかったり恨まれる描写がこの本にも何度も出てきます。

秀吉が危篤の時に浅野長政の振る舞いを理屈でぴしゃっとたしなめた場面。
正論で相手に逃げ道を与えずやり込めてしまいます。

初芽に京に残れと言いつつ、それを直接人を介して伝えたうえに、本人から問い詰められるとどちらでもいいと曖昧な返事をしてしまうところ。

島津義弘とは一切の戦術打ち合わせを行わず一方的に島津軍の犠牲を強いて逃げ去ってしまいます。

司馬遼太郎はこのように評しています。

政治的感覚が根本的に欠けた男

しかし、まがりなりにも西軍の総大将になった人物です。才はあります。
兵站の輸送や検地では複雑な計算や段取りをやってのけ、関ヶ原の戦いに至る準備では全国をまたにかけた壮大な構想と戦力配備を立案します。

言ってみれば、才はあったが心がなかったということでしょうか。
典型的な策士タイプであった。
しかし、良くも悪くも参謀の器には収まりきれない大きな才の持ち主であったと。

彼はどうすればよかったのか。

黒田如水のこの言葉が一つの処世術を表わしています。

「あの男には知恵がありすぎたのさ」
と、如水はいった。
「ありすぎて顔にまで出ていた。おれと似ているが、おれはまだしもそれを韜晦する術を心得ていたから、命がきょうまで保った」

韜晦とは「自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。」の意味だそうです。

三成とはいわば子供だったんですね。
自分がすごいことをやったら親や先生にほめてもらう。
これが行動原理に染みついているわけですが、きっと保護者(=秀吉)の力が強かったから韜晦する必要なくすくすく育ってしまった。
大人になっても自分の才を示して他人を従わせることしか他人との人間関係を構築できないイメージです。

自己顕示に囚われてしまったのですが、同級生や先輩の妬みをどうかわすかを10代20代で学べなかったというのが関ヶ原で描かれた石田光成の本質であると思いました。
学ぶ必要がなかったというのが正しいかもしれません。

ただ、この性質は女性には愛されると思います。ある意味、自己顕示は”セックスアピール”の強さでもあるし、包み隠せないことは”純真”とも解釈されます。

上記の如水の言葉に対しての初芽の返答が女性の心理でしょう。

「お人が、それだけ悪いのでございましょう」

とにもかくも人々の関心を惹く傑出した人物で、徳川家康の噛ませ犬というだけでは惜しいし、それは誤った認識ですね。
これだけの大決戦をプロデュースすることができ、それでもなぜ人がついてこなかったか。
司馬遼太郎さんが巧みな描写で引き立たせています。

一方で敵対する徳川家康が、石田光成に欠けた”人たらし”の巨頭として描かれいます。
人の機微に聡く、忍耐強く相手を説得し、本多正信と二人三脚で利をもって人をたらしこむ名人として描かれています。

この才と利の対決構造が実に生き生きと描かれていました。

また、同じひらめき&攻めの姿勢の信長・秀吉との対比はこう分析される。

秀吉や信長の場合、すべての情勢と条件を柔軟に計算しつくしたあげく、最後の結論にむかって信念的な行動にうつるのがやりくちであったが、三成の場合は最初に固定観念がある。その観念に、諸情勢・諸条件をあてはめてゆき、戦略をたてる。
自然その戦略は動きがとれない。

石田光成は反面教師としてすばらしい引力(惹力)を感じます。(褒めてる)