侍大将の胸毛
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1972/06/30
- メディア: 単行本
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渡辺勘兵衛の物語。
豪傑で里のものに慕われ録・女とも何不自由なく暮らしていたが、藤堂家に士官したことでとある人妻に出会う。
実は両想いであったが結ばれずに終わる。
女はすべて市弥と同じ名前で呼ぶくらい道具扱いしてるくせに、変なところで律儀であるのはそれが彼なりの哲学の一環であるのか、奥手なだけだったのか。
不思議とどの主人とも縁が薄かった。主人だけでなくおなごとも縁が薄かった。
主人も女も根っこは一緒なんだろうと思った。己の美学を譲れないんですねたぶん。
おれは権現
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/04/15
- メディア: 文庫
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猪武者可児才蔵と、彼の力を上手く利用して財産を手に入れた男と手に入れられなかった女の物語。
男は可児を一人前の武者に仕立て上げそつなく自らの利を確保した。才蔵が自分を権現として見立て、一本気で無口な武骨者であるころだ。
女は才蔵が年老いて心のたががはずれてしまった時にチャンスをつかんだ。
しかし才蔵は最後に権現に戻り死を迎えて、努力は水泡に帰した。
彼女は自分の一生がいったい何であったかと考えたとき、おそらく死ぬまで答えがでなかったろう。もっとも人間たれしものことで、彼女だけとはかぎらないが。
結びの文章だが悟りの境地を感じた。肩肘はらずに生きていこうよというエールとして受け取った。
関ヶ原
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1974/06/24
- メディア: 文庫
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石田光成とはどのような人物だったのだろうか。
この本を読むまで中学高校の日本史程度の知識しかなかったため、せいぜい徳川家康の天下取りに対しての噛ませ犬程度の認識でした。
大軍を動員したものの将の心をつかめず大敗した敗軍の将です。小早川秀秋の裏切りが代表的ですね。
なるほどたしかに人の心に疎く、ささいなことで不興をかったり恨まれる描写がこの本にも何度も出てきます。
秀吉が危篤の時に浅野長政の振る舞いを理屈でぴしゃっとたしなめた場面。
正論で相手に逃げ道を与えずやり込めてしまいます。
初芽に京に残れと言いつつ、それを直接人を介して伝えたうえに、本人から問い詰められるとどちらでもいいと曖昧な返事をしてしまうところ。
島津義弘とは一切の戦術打ち合わせを行わず一方的に島津軍の犠牲を強いて逃げ去ってしまいます。
司馬遼太郎はこのように評しています。
政治的感覚が根本的に欠けた男
しかし、まがりなりにも西軍の総大将になった人物です。才はあります。
兵站の輸送や検地では複雑な計算や段取りをやってのけ、関ヶ原の戦いに至る準備では全国をまたにかけた壮大な構想と戦力配備を立案します。
言ってみれば、才はあったが心がなかったということでしょうか。
典型的な策士タイプであった。
しかし、良くも悪くも参謀の器には収まりきれない大きな才の持ち主であったと。
彼はどうすればよかったのか。
黒田如水のこの言葉が一つの処世術を表わしています。
「あの男には知恵がありすぎたのさ」
と、如水はいった。
「ありすぎて顔にまで出ていた。おれと似ているが、おれはまだしもそれを韜晦する術を心得ていたから、命がきょうまで保った」
韜晦とは「自分の本心や才能・地位などをつつみ隠すこと。」の意味だそうです。
三成とはいわば子供だったんですね。
自分がすごいことをやったら親や先生にほめてもらう。
これが行動原理に染みついているわけですが、きっと保護者(=秀吉)の力が強かったから韜晦する必要なくすくすく育ってしまった。
大人になっても自分の才を示して他人を従わせることしか他人との人間関係を構築できないイメージです。
自己顕示に囚われてしまったのですが、同級生や先輩の妬みをどうかわすかを10代20代で学べなかったというのが関ヶ原で描かれた石田光成の本質であると思いました。
学ぶ必要がなかったというのが正しいかもしれません。
ただ、この性質は女性には愛されると思います。ある意味、自己顕示は”セックスアピール”の強さでもあるし、包み隠せないことは”純真”とも解釈されます。
上記の如水の言葉に対しての初芽の返答が女性の心理でしょう。
「お人が、それだけ悪いのでございましょう」
とにもかくも人々の関心を惹く傑出した人物で、徳川家康の噛ませ犬というだけでは惜しいし、それは誤った認識ですね。
これだけの大決戦をプロデュースすることができ、それでもなぜ人がついてこなかったか。
司馬遼太郎さんが巧みな描写で引き立たせています。
一方で敵対する徳川家康が、石田光成に欠けた”人たらし”の巨頭として描かれいます。
人の機微に聡く、忍耐強く相手を説得し、本多正信と二人三脚で利をもって人をたらしこむ名人として描かれています。
この才と利の対決構造が実に生き生きと描かれていました。
また、同じひらめき&攻めの姿勢の信長・秀吉との対比はこう分析される。
秀吉や信長の場合、すべての情勢と条件を柔軟に計算しつくしたあげく、最後の結論にむかって信念的な行動にうつるのがやりくちであったが、三成の場合は最初に固定観念がある。その観念に、諸情勢・諸条件をあてはめてゆき、戦略をたてる。
自然その戦略は動きがとれない。
石田光成は反面教師としてすばらしい引力(惹力)を感じます。(褒めてる)
尻啖え孫市
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1974/05/15
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この物語で描かれる雑賀孫市は、大衆のヒーローである。
腕はたち女好きで豪快な性格。政治のことは興味を持たずただひたすら自らの理想とする女性を求めて世間を歩き回る。
しかし周りが放っておかない。
織田信長から声がかかり、本願寺から召集がかかり、やがて戦争の中心人物となっていく。
本願寺に入場した孫市はさっそく総大将に担ぎあげられる。
与えられた一室にひっこみ、城から見える夕日を眺めながら、自分の身におこった運命をしみじみかみしめている孫市に彼をスカウトした信照が言った一言が印象深い。
孫一殿、自分の才能のために働くのが男にとって最も幸福な生き方ではないか。(中略)天下制覇を七分どおりまで仕上げた信長と四つに組んで戦うなどは、男子の幸福、これに尽きるというものだ。
孫市はそれに対して「俺もそう思い始めている」と答える。
夕日のなかで才がありチャンスもつかんだ男が一躍スターダムに駆け上がろうとしている場面。
映画でもっとも絵になりそうなシーンである。
もう一つの印象的な場面はその勝負どころの合戦で緊張してきがくじけそうになっている場面。あの孫市でも不安になるのかと思わざるをえないところだ。
そこで、隣にいた孫市の女房となる小みちが念仏を勧める。
朗々と唱え始めた。唱えているうちに、だんだん心が鎮まって来、なるほど小みちのいうとおり、そのあたりの草木の仲間に自分が入ってゆき、やがて草木そのものになり、さらに唱えるうちに、突如、天の碧さを見た。
孫市は落ち着きを取り戻し、むしろ視野を広げて悠然とする。
ここぞという勝負どきに、チャンスを逃さず力を100%発揮できたのである。
信長包囲網の話なので、浄土真宗が背景につねに存在しているが、まわりの助言を聞ける器量と
才や運がかみ合った時に大きなものごとを達成しうるのだと孫市の物語は教えてくれているように思った。
愛染明王
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1972/06/30
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秀吉子飼いの武将でもっとも有名な一人である福島正則の物語。
短絡もので酒乱というどうしようもない暴れん坊だが、将の器があり組織をつくる才があったと評される。
その要諦は人情ぶかさと、権限を分掌して人に任せることである。
清正ほどの聡明さがなかったが、自分は阿呆である、ということを正則は知っていた。
しかし生来の狂気・暴勇・無智さは、徳川家康に利用つくされ最後は改易となりさびしく人生を終えます。
大人になったジャイアンがスネオに操られる姿を連想しました(笑)
軍師二人
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1985/08
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大阪の陣は関ヶ原以上に豊臣家側の悲劇のヒーローが形成されている。
その中の真田幸村と後藤又兵衛が主人公の物語。
互いに優れた戦術眼をもった天才ゆえに考えを譲らず、幕府軍に各個撃破されていく有り様が描かれる。
もっとも悲劇なのは彼らを活かせる主君がいなかったことだろう。
ボスとなるべき大野治長は互いの案をそれぞれ採用して二つの作戦を同時実行するといういかにも日本的な大岡裁きを行う。
ありがちだが、これでは劣勢である豊臣がたに奇跡は起こせない。
豊臣がたに必要なのは奇跡だったのである。
それは個性強い才人達が一致団結して倍にも乗にも力を発揮することであっただろう。
しかし1+1は2にも4にもならず1以下になってしまった。
ボスがいなかった豊臣方は又兵衛、幸村が次々と討ち死にしていくこととなる。
その死に様は後世に語り継がれる美談となるわけだが、あくまで孤軍奮闘というものでもあった。
(又兵衛は又兵衛の死に場所で死ね)
真田幸村の心中として語られた言葉である。
意思決定やチームビルディングの難しさと、大将というものこそ真に稀有なものであるということを司馬遼太郎は示しているように感じた。
言い触らし団右衛門
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1993/03/10
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塙団右衛門の物語。
売ろう物語の後藤又兵衛と極めて似ている人物像として描かれている。
同じように自分を高く見積もり浪人・乞食として苦しい生活を送りながら、大坂の陣を最後の晴れ舞台として生涯を終えた。
しかし、団右衛門の場合は縁も実績もなかった。常に彼は一騎武者と侍大将の二つの理想像を持って夢に生きた。
最後の晴れ舞台では他人からの評価を気にしてそれを覆すことを行動原理としている。
昔、大将の器量なしと言われたことと、大将として成功した時に将になっても槍働きを忘れるなとの約束を破ったことの非難に対しての二つである。
夢想は地についた確固たるものがないだけに他人の目線が気になるのだろうか。
大将の器でないことをこう評されている。
われは、ついに大将にはなれぬ男じゃな。一番槍、一番首などは、おのれがやらずとも他の者がする。われはもっと大事な役目があった。
大将の器量とは一座の者の心を読んで、そのふんい気の中で中心になれる器をいう。とすれば、鉄牛どのは、しょせんは一騎駆けの武者であろうか。
逆に言うと一騎武者だけを理想としていればよかったのではないだろうか。
夢想に生きすぎて、己を理解できなかった。
ただ、その鈍感さこそが戦場での抜きん出た武功につながってると思うので一騎武者こそ彼にはふさわしかったと思うわけである。